Thursday, March 06, 2008

話を聞いていると、
すべてに批判的で、懐疑的で、
軽蔑していて、幼すぎるこの子の精神を、
改めて感じた。情報もさ。
だんだんこの子の言う言葉を聴きたくなくなってくる。

朝から養護学校の終業式に三男と長女と三人で出かけ、
帰路、路線バスを待っている間に、
ミクシー日記のモバイル更新に挑戦。
送信したはずだったが、回線が切れたとかなんとかで、
反故になってしまった。情報もさ。

Tuesday, December 25, 2007

良家の子女であったこともない。
現在の家庭は、上品ではない。
深窓の奥さまじゃない。
上品じゃない。
ついでに、言葉の訛りがわからない。
だから、そういう人たちが苦手で、
付き合いが最も面倒な人たちだ。

Monday, December 24, 2007

「誰かキャビア好きな人いる?」
なんて会話が事務所の中で聞こえてきたので
「うっほwんなもん食ったことねーですよw」
っていったら
キタ --- .∵・(゚Д゚)・∵. --- ッ!!
ちょwwwww
限定一個があたちでいーんですか?????
(´・ω・`*)フフ言ってみるもんだわネ。
ぁぁぁぁぁぁ
どうやって食べたらいいの?。んでデリヘルは高収入さ。(*´Д`*)ハァハァ

Wednesday, November 30, 2005

バルザックの偉大さにしても、西欧のリアリズムにしても、バルザックが彼の時代のフランス・ブルジョア社会の限界・個性の限界としてその作品にくっきり映している歴史性は、公正な評価をもって見られるべきである。こんにちの歴史ではより明確にされている社会の認識に立って、バルザックがよまれ、西鶴時代の大阪商人の社会関係のもとに、西鶴がよまれなければならない。一人の読者とバルザック、西鶴をくらべれば、その文学上の能力、生活上の能力において、バルザックや西鶴とくらべものにならないかもしれない。けれども、現代の、つつましい人民の一人である読者がもっている実力は、バルザックと西鶴の個人的な天才がどうにもすることのできない歴史の実力である。バルザックと西鶴が、彼らの作品をのこして去ったのちの数百年の間に、おそろしいテンポと複雑さで、そのことごとくが人民の犠牲と献身の上に推進されて来た歴史が、きょうにもたらしている可能性である。この歴史の可能性こそ、明日の人民の能力に限りない期待を抱かせる。

Saturday, October 29, 2005

 俺はウナギが大好きだ。
 名古屋に行くとよくひつまぶし食べるし。

 一昨年ぐらいまではよくスーパー玉出で1匹280円やったのでしょっちゅうまるごと1匹食うてたのだが、最近は玉出でも500円近くするので買うてないが。

 ちょうど関西ウォーカー買うたらウナギが半額になる道頓堀「うなぎ家」があったので丑の日に行ってみた。
 すると「売り切れ」になってたし!!(泣)
 さすがに半額やからやろうとは思うけど、売り切れるなよ!!
 まだ半額期間は8/2まであるので今度行かねば。

 てことでリベンジとばかりにマリテレで金曜の晩と土曜の昼に連続うな重!!
 マリテレ通貨を山のように持ってるのでいくらでも食える。

 ここのは丸ごと1匹がどどんとお重に入ってるのでめちゃめちゃ食べ応えがある。
 うまい!!!!!!!!!!!!!!!!
 めっちゃお腹いっぱいだよ!!

 金曜の夜食には角煮丼も食うたので、食べ放題気分。
 ちなみに土曜の朝もちゃんと食べてるので、ほんまにお腹がパンパンだ。
 おまけに紅茶(ワッフル付)も10回ぐらい注文して、ソフトクリームも食って、カキ氷も食って、食いまくったよ。

 ふう。
負荷がかかってるかしょにわざと負荷をかけようとしているようにしか見えない
あっちは負荷かかってないよ、